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奈良地方裁判所 昭和42年(ワ)141号 判決

原告

森田全紀

ほか二名

被告

奈良県

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、双方の申立

(原告ら)

1  被告は

原告森田全紀、森田富子、森田裕子に対し各金六一万八、〇〇〇円及び内金五六万八、〇〇〇円に対する昭和四一年九月八日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告森田芳野に対し金一一六万四、〇〇〇円及び内金一〇六万四、〇〇〇円に対する昭和四一年九月八日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

(被告)

1  主文と同旨。

2  担保を条件とする仮執行の免脱。

第二、双方の主張

(原告ら)

一、亡森田弘は昭和四一年九月六日午後一〇時三〇分頃、仲谷真三が運転する普通乗用自動車に同乗し、桜井市大字三輪九六一番地先県道天理・桜井線を北進中、同車が同所初瀬橋北詰附近において東側の三米下の田圃に転落したため、弘は頭部打撲による脳震盪によりその場で死亡するに至つた。

二、右事故は以下に述べるとおり、前記道路の管理者である被告の道路の管理の瑕疵に起因するものである。

即ち、右事故発生当時、被告は堤野組に請負わせて前記初瀬橋北詰において、右道路中心線から西側即ち北進道路(以下本件工事現場という)の堀穿工事をしていたが、被告は右工事に当つて道路法四二条、同法施行令一五条一項五号、奈良県工事標識設置基準に定める工事標識等を設置すべきであるのに、これを設置していなかつた。即ち、本件工事現場においてはその南側にバリケード及び赤色燈標柱が設置されていたのであるが、それはいずれも事故直前に同所を通過した自動車によつて路上に倒され、赤色燈標柱は道路中央線から東即ち南進道路にはみ出て倒れて、その赤色燈は消えていたのであり、右の標識は本件事故当時は右現場が工事中で片側通行をしなければならないことを示す機能を果していなかつたものである。本件事故現場附近の路面は舗装され、幅員もあり、障碍物もなく、夜間は交通量も少く、速度の規制はじめ、その他何らの規制もされていない場所であり、従つて、法定の六〇粁を超える高速で疾走する車もあることは当然予想される状況にあつたから、道路の管理はかかる者の存在することを前提として行われるべきものである。而して、仲谷真三は自動車を運転して本件事故現場手前に差しかかつたのであるが、その際、対向車があり、その対向車が前照灯を滅灯しなかつたため眩惑して、そのため、路上に倒れた標識等の発見がおくれ、これを発見したときには衝突必至の状況にあつたところ、仲谷はハンドル操作により衝突を回避せんとしたが、直前のこととて充分な操作が出来ず、路上から東側の田圃に転落したものである。

この原因は前記標識がその機能を充分に果していない不完全なものであつたことと、対向車の前照灯による眩惑とが相俟つてその発見がおくれたことによるものであり、若し標識が標識としての機能を充分果し得るようなものであつたならば本件のような事故は発生しなかつたものである。

三、損害

(一)イ 森田弘の得べかりし利益の喪失(金一九六万八、三〇〇円)

同人は昭和三年一月二〇日生まれの健康な男子で(事故当時三八歳であつた)事故当時田一町二反歩(一一、九〇〇平方米)を耕作し、そのかたわら養鶏業等の副業を営み年間四〇万五千円の収入を得ていたものであり、本件事故に遭わなければ、向う三三年以上生存出来(昭和四〇年簡易生命表による)少くとも二二年間(六〇歳に達する迄)稼働出来、その間左の利益を挙げえた筈である。即ち前記農業収入に対する家族ら(主として妻の原告芳野)の寄与率は三分の一以下であり森田弘の生活費の占める割合も同様であるから、これらを控除した上、年五分の法定利率による中間利息をホフマン式複式によつて控除し、単利年金価総額を求める算出方法により一時払額を求めると次のとおりとなる。

〔40万5,000円-〔40万5,000円×(1/3+1/3)〕×14.58(22年の係数)=196万8,300円

ロ 原告らの相続割合

原告全紀は森田弘の長男、富子はその長女、裕子はその二女、芳野はその妻であるので、原告らは法定相続分どおり、相続により森田弘の権利を承継した。そこで、各原告がそれぞれ相続により取得した金額を計算すれば次のとおりとなる。

原告全紀、富子、裕子は各196万8,300円×2/3×1/3=43万7,400円

原告芳野は196万8,300円×1/3=65万6,100円

(二) 葬儀費金 一〇万円

原告芳野は葬儀費用として金一〇万円を支出した。

(三) 慰藉料原告芳野は金一〇〇万円、その余の原告らは各金五〇万円

森田弘は同人の両親や原告らと共に肩書住所地で平和な家庭生活を営んでいたところ、右事故により、原告らは瞬時にして経済的、精神的支柱を失い、そのため原告らが物心に亘り、蒙つた損害は甚大である。とくに原告全紀は高校三年、原告富子は中学三年、原告裕子は中学一年に各在学中で、父を失つた苦痛及び将来これによつて蒙る不利益はきわめて深刻である。また夫を失い、三人の子供を養育して行かねばならない原告芳野の苦労については多言を要しない。現に原告芳野は家事を犠牲にして昭和四二年一月から生命保険会社の外交員として働き一家の生活を支えているのである。従つて、これら諸般の事情を考慮すれば原告らに対し支払われるべき慰藉料は、原告芳野に対しては金一〇〇万円、その余の原告に対して各金五〇万円をもつて相当とする。

四、損益相殺

原告らは自賠責任保険金等金一八〇万円を受領しているので、これを原告らの損害額に按分して充当すると次のとおりとなる。

原告全紀、富子、裕子は各

〈省略〉

原告芳野は

〈省略〉

五、弁護士費用

原告らは大阪弁護士会所属中嶋輝夫弁護士に本訴の提起を委任し、その手数料として原告全紀、富子、裕子は各五万円、同芳野は金一〇万円を支払うことを約した。

よつて、被告に対し、原告全紀、同富子、同裕子は各金六一万八、〇〇〇円宛、原告芳野は金一一六万四、〇〇〇円及びこれらの内各弁護士費用を差引いた金員につき昭和四一年九月八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告)

一、原告主張事実中、一、の事実、二、の事実のうち、被告が原告主張の道路の管理者であること、被告が堤野組に請負わせて本件事故発生当時、原告主張の箇所の道路工事をさせていたこと、三、の事実のうち森田弘の死亡当時の年令及び同人と原告らとの身分関係、四、の事実のうち、原告らが金一八〇万円を受領していること、以上の各事実はいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う。

二、本件事故当時本件工事現場から南約九〇米の道路西側には道路標識、区画線及び道路標示に関する命令第四条第一項第二号所定の工事中なることを示す警戒標識(以下A標識と称する)が設置されていたほか、更に、道路法施行令第一五条第五号の定めるところに従い、工事現場から南二〇米の地点に工事中のため片側通行なることを示す標識(以下B標識と称する)及びバリケードが設置されており、更に右バリケード設置場所から一〇米間隔で赤色燈標柱が設置されていた。ただ、本件事故直前に同所を南から北へ通過した車が工事現場南二〇米の地点に設置してあつた前記B標識及びバリケードを倒し、さらにその北側で点灯していた赤色燈標柱一本を道路中心線附近へ倒し、しかも、右車は道路管理者へ通告するなどの措置を何ら講ぜず、現場をそのまま放置したまま走り去つたため、仲谷がその直後本件現場を通過する際はそれが修復されていなかつたわけであるが、本件事故当時の現場の右瑕疵は、右に述べたように事故直前第三者の行為によつて引起されたもので、道路管理者としてはそれを発見して適当な措置を講ずる時間的余裕が全くなかつたものであるから、本件事故は管理者に関する限り不可抗力であつたというほかはない。

このような場合、それが道路の瑕疵であるということは言いえても、管理の瑕疵といいえないことは明らかであるから、被告には国家賠償法の責任はないものといわねばならない。けだし、国家賠償法第二条の責任は一種の無過失責任ではあるが、絶対責任ではなく、瑕疵の存在による客観的責任であり、いわば過失が瑕疵という形で客観化されたものというべきだからである。なお仲谷はA標識に気付かないばかりか倒された前記B標識等を三十数米手前で発見しながら何ら制動措置をとらずにハンドルを右に切つて倒れたバリケードを乗越えて車を右斜に暴走させその結果車を右側の田圃に転落させたものである。

従つて、本件事故はもつぱら、赤色燈標柱を倒した先行の走行車の過失と九〇米手前のA標識にも気づかず、且つ倒れたバリケード赤色灯標柱を三〇数米手前で発見しながら制動措置をもとらずに進行した仲谷の過失に基因するものというべきであるから、被告には何らの責任もない。

第三、証拠〔略〕

理由

一、請求の原因一、の事実及び被告が当時堤野組に請負わせて本件工事現場の堀穿工事をしていたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、まず本件事故現場附近の道路の状況、本件事故発生当時の本件工事現場における工事標識等の設置状況並びに本件事故発生迄の経過についてみる。

右当事者間に争いのない事実に、〔証拠略〕を綜合すると、次のことが認められる。

本件事故現場は桜井市大字三輪九六一番地先の県道天理・桜井線初瀬橋(その長さ四六・五米)北詰附近であり、附近の道路は南北に通じ幅員は八・二米(中心線あり)、歩車道の区別なく、アスファルト舗装されて、直線、平坦であり、その周囲は田畑であり、街灯の設備がなく、夜間は暗い。ただ、昭和四一年九月初から被告が堤野組に請負わせて初瀬橋北詰の道路を中心線から西側即ち北進道路を堀穿工事中で、同月六日もその工事が行われ、作業後の夕刻から、右工事箇所を表示する標識として、本件工事現場の南、北約二米の地点に高さ約八〇糎、幅約二米の黒黄マダラのバリケードが一つ宛設置され、右バリケード間の道路の中心線附近に高さ約一米の赤色燈標柱が一つ宛設置されていたが、本件事故発生直前に同所を北進した他車によつて、前記工事現場の南側に設置されていたバリケード及び赤色燈標柱はその場に倒され、赤色燈は消えていた。ところで仲谷真三は本件被害者の森田弘ら総勢七名の青年団役員と共に昭和四一年九月六日午後五時三〇分頃天理市から自動車で本件現場を通つて桜井市に至り同日午後七時頃から九時迄の間、同市大字初瀬所在の料理旅館業井谷屋において催された親睦の宴会に加わり、その間日本酒を三合位飲み、それが終つて同日午後一〇時頃、普通乗用自動車の助手席に森田弘を、後部坐席に外二名を同乗させ、右自動車を運転して帰路につき時速約六〇粁でもとの県道を北進し、同日午後一〇時三〇分頃、前記初瀬橋南詰近くにさしかかつたものであるが、その手前で南進路上を対向して来る車を認めたので、自車の前照灯を下向きにして進み、初瀬橋南詰附近で対向車と擦れ違つて、前照灯を上向きに切りかえたとたん、前照灯の照明により約三十数米前方の自己の進路上に前記のように倒されたバリケード、赤色燈標柱を発見した。かかる場合自動車の運転者としては直ちにブレーキを踏んで減速するとともにハンドルの操作を適切に行うなど工事現場を避けてその右(東側)を安全に通過し得るような措置を講ずべき義務があるに拘らず、同人はこれを怠り、単にアクセルを踏むのを緩めただけで、ブレーキを踏んで減速することなくそのままハンドルを少し右に切つて進行を続けたため、工事現場の横(東側)を通過した際高速度のため直ちにハンドルを左に切り直すことができず、そのため車は右斜めに進行を続け、遂に道路からはみ出し道路東側の三米下の田圃に転落し、その結果同乗していた森田弘を頭部打撲による脳震盪により死亡させるに至つた。

以上の事実が認められ、右認定に反する〔証拠略〕は信用できない。

右の認定事実に基いて、被告の責任について考えるに、仲谷真三が本件工事現場にさしかかつた際には同所が道路工事中のため同所を通行出来ない旨を表示する標識たるバリケード、赤色燈標柱が倒れたままになつていたのであるから、かかる標識だけでは法令が要求する同所を通行出来ない旨を表示する標識としての機能は充分に果されていなかつたものという外はないが、かかる事態はその直前に同所を通過した他車が起したものであり道路管理者においてこれを修復する時間的余裕の全くない場合であるから、かかる場合右瑕疵をもつて国家賠償法第二条にいう「道路管理に瑕疵がある場合」に当ると解し得るかは疑問であるのみならず、仮にそれが積極に解し得るにしても、被告に右事故によつて生じた損害の賠償を命ずるがためには右瑕疵と事故の発生との間に法律上の因果関係が認められなければならないところ、本件の場合仲谷真三はバリケード、赤色燈が路上に倒れていたことを約三十数米手前の地点で発見したのであるから、直ちにブレーキを踏んで減速するとともにハンドルの操作を適切にするなど、かかる場合自動車を運転する者に要求される通常の措置を講じておれば本件事故の発生は容易に避け得たことが明かであるから、本件事故は仲谷真三の前記過失によつて生じたものというべく、従つて、前記バリケード、赤色灯が倒れていたことと、本件事故発生との間には法律上の因果関係はない。そうするとその余の点についての判断に及ぶ迄もなく、原告らの本訴請求は失当として棄却を免れない。

よつて、民訴法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 谷野英俊 一之瀬健 森下康弘)

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